インタビュー
真珠湾攻撃後の近所の同情(英語)
(英語)私たち一家は、南カリフォルニア大学のすぐ傍で、花屋を営んでいました。父がこの土地に初めて来た時、「アメリカに居る限りは、アメリカ人を相手に商売する。」と言っていました。それで、私たちは意図的にリトル東京から距離を置いて生活していました。私たちの客のほとんどはアメリカ人でした。真珠湾攻撃直後の月曜日、店を開けるかどうか迷いましたが、結局開けることにしました。ルーセラン(ルーテル)教会やメソジスト教会の人々、白人の客たちは、私たちにとても同情的でした。そして、自分たちにできることがあれば、力になるとさえ言ってくれました。その頃は、私たちはまだ問題なく暮らすことができていました。
日付: 2000年11月15日
場所: 米国、ニューヨーク州
インタビュアー: ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター