https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/465/
日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)
(英語) 日本の言葉の上での礼儀とか作法は、他の国に比べるとかなり多いんです。最初はそれが何なのか全く分かりませんでした。目上の人より先に飲み物に口をつけちゃいけないとか。会社の社長なんかと同席して飲み物を頼んだ時も、僕は社長の飲み物が来る前に自分のを飲み始めたりしてましたからね。それがいけないことだなんて知らなかったんですよ。それから食べる前に「いただきます」って言ったり、食べ終わったら「ごちそうさま」って言うことも知らなかったし。
それの何が問題だったかっていうと、僕の見掛けが日本人と変わらないっていう事なんです。そういう事を全部知ってて当たり前、っていう見方をされてたからね。もし僕が青い目のブロンドだったら、「まあ、この人はガイジンだから知らないんだろう。」で済むんだよね。でも僕の見掛けは日本人そのものだから、僕のことを知らない人からすると、失礼な奴だってことになるんですよ。
ある社長とレストランで同席した時も、僕は英会話学校の社長と一緒に行ってたんだけど、ちゃんと紹介されてなかったからこの人も僕のことを知らなかったんですよ。そしてその人の飲み物が来る前に僕は自分のジュースを飲み始めたんだよね。まあ、好印象は与えなかったですよね。他の人達が僕のことを、言葉を理解して話もできるに違いない、と思うからこそ起こった問題はたくさんありましたよ。
一度、車を運転してたら警察に止められたことがあって、免許証を見せるように日本語で言ってきたんです。その時は日本に来たばかりで何を言われているのか分からなくて、「何を言ってるのか分からないよ」と言ったんです。そして外国人なら最初に見せるように言われるのが外国人登録証なので、それを渡したんです。それでも免許証を出すように言われたから、僕は片言の日本語で「何を言ってるのか分からない。僕は日本人じゃない」って言ったら、警官は怒り出すし最悪な状況でしたよ。後になって、僕が本当に外国人だとわかるとその警官は謝罪しましたけどね。警官が何を言おうとしてるのか、僕は本当に分からなかったんですよ。
外国人に対する偏見は日本にはいっぱいあるんです。日本では自分は外国人なんだな、注意しなきゃなって感じでしたね。
日付: 2003年10月14日
場所: 日本、埼玉県
インタビュアー: アート・ノムラ
提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』
エンセン井上はハワイで生まれ育ち、ハワイ大学で3年間心理学を学びました。日本への在住意志はありませんでしたが、23歳の時ラケットボールのトーナメントへ参加するため2週間の予定で日本を訪問しました。トーナメントに勝ち残ったあと、ラケットボールのセミナーへ参加するため、滞在期間を3ヶ月間延長しました。その後、ハワイへの帰国を1年間先送りにし、日本へ滞在。その翌年は英語を教えるかたわら、兄のラケットボール会社の経営を手伝っていたため、さらにあと1年と滞在期間が延びていきました。その後、ラケットボールをあきらめボクシングへと転向。インタビューが行われた2003年秋には、すでに13年半の在日期間が過ぎており、ハワイへは6年間ほど戻っていないそうです。現在は「大和魂」のリング名にてプロの格闘家として知られています。彼は自分のアイデンティティについて、アメリカ人であると主張する一方、ホーム(故郷)は日本であると答えています。(2003年10月14日)
ハパ・プロジェクトで学んだこと (英語)
映画製作者・アーティスト(1965年生)
日系アメリカ人が持つ「ハパ」としての意識の高さ(英語)
他人にレッテルを貼られることの不快さ(英語)
アメリカ国外でのアイデンティティに関する問題 (英語)
他人にアイデンティティを強要(英語)
自分が誰であるかを主張する権利(英語)
あなたにとって、日系が意味するものは?(スペイン語)
ジャーナリスト(1937生)
日系コミュニティのサポート (英語)
プロフィギュアスケート選手。オリンピック金メダリスト。(1971年生)
日系アメリカ人というアイデンティティ意識の高まり (英語)
弁護士(1955年生)
カリフォルニア州ガーデナで育まれた順応性と競争心 (英語)
弁護士 (1946年生)
歴史の重要性を考える (英語)
成長とアイデンティティ (英語)
プロアメリカンフットボール選手。(1971年生)
次世代の人々へ (英語)
教師(1937-2021年)
波風を立てるな (日本語)
JACLシカゴ支部の補償委員会の委員長
今後すべきこと (日本語)