ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/374/

ペルーから連行中のアメリカの輸送船の状況(英語)

(英語) 輸送船に乗せられてからは、女性と子供達はデッキの小さな船室へ、男性は船底の方へ入れられました。私のように年齢が上の子供達は、大人の男性と一緒に船底に連れて行かれました。私たちは一日に2回10分間だけデッキに上がることが許されましたが、その間女性と子供達は船室の中に居なければなりませんでした。カヤオからパナマ運河を経て、ニューオリンズに到着するまで21日かかりましたが、その間、家族がお互いに顔を合わせたことはただの一度もありませんでした。

(輸送船上で)とにかく何が酷かったかといいますと、船の中がそれはもうぎゅうぎゅう詰めの状態だったことです。鉄製でキャンバス地張りの折りたたみ式のベッドがあったのです。昼間はそれをたたんでいたので少しはスペースに余裕がありました。でも夜、そのベッドを船底で広げると歩き回れるスペースなんてほぼ皆無なんですよ。ニューオリンズに降り立つと、まず女性と子供達が船から降ろされ、倉庫のようなところに並んで入って行きました。そこで彼女達は衣服を全部脱ぎ裸で一列になるよう命じられ、殺虫剤をかけられていました。何かの殺虫剤でしたね。その後シャワーをあびて列車に乗せられたのです。男達も全く同じ行程を辿り、そうしてようやく私たちは家族と再会することができたのです。


アメリカ陸軍 第二次世界大戦

日付: 2003年10月26日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

アート・シバヤマ氏は1930年6月6日ペルーのカヤオで生まれた日系二世の男性です。ペルーで両親・祖父母によって育てられた彼は、第2次大戦中にアメリカ軍の輸送船でアメリカへ両親ともに連行され、テキサス州クリスタルシティの収容所へ収容されました。その後ニュージャージー州シーブロックの生産会社で働くために家族で移住しました。不法移民とみなされていたにもかかわらず、1950年代にはアメリカ陸軍に徴兵され、ドイツに駐屯しました。除隊後は、イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンノゼにて家庭を築きました。近年は、カリフォルニア州ツールレイク収容所の巡礼や日系ペルー人の同窓会に参加したり、日系ラテンアメリカ人の戦後補償を求めるキャンペーンにも携わっています。シバヤマ氏は、2018年7月31日、88歳で亡くなりました。(2018年7月)

*全インタビューはDenshō: The Japanese American Legacy Projectにて見ることができます。

ユリ・コチヤマ

集合センターの状況(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

E・スタンリー・ジョーンズによる集合センターの訪問(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

二世兵士への絵葉書(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

隠蔽されたキャンプでの出来事(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

逮捕された父(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

収容所のポジティブな側面(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

442連隊のゴッドファーザー、フィンチ氏(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

一世と二世の一斉検挙(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ロイ・H・マツモト

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

集合センターでの職探し(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

アーカンソー州にあるジェローム転住センターへ汽車による移動(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

日本軍に包囲されたときのメリル・マラウダー部隊の状況(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

日本兵捕虜の中にいた自分の親戚(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ペギー・ニシムラ・ベイン

強制移住(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

ペギー・ニシムラ・ベイン

パインデール集合センターでの生活状況(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)