ディスカバー・ニッケイ

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教師としての報酬(英語)

(英語)(教師という仕事は)やりがいがありますが、決して給料は高くありません。今でも覚えていることがあります。大学院を卒業したとき私にはローンの返済がいくらかあり、私は銀行に行きました。そこで銀行員の友達と話していて「私は家族を支えなくてはいけないし、その他にも色々と支払いがあるのですが、何か良いアドバイスはありませんか」と尋ねると、彼は「教師を辞めなさい」と答えたのです(笑)。

もしかするともっと給料の良い仕事がどこかにあるのかもしれません。しかし(教師という)仕事から得られる満足度-ある人はこれを「心理所得」と言います-は非常に高いと思います。広い意味で教育は、人間にとってもっともポジティブな追求だと思います。ここで私は学校と教育をあえて分けて言いますが、学校で学ぶことの多くは教育ではありません。教育は様々な場所に、様々なかたちであるものです。そして人や社会にとって非常に大事なものなのです。ですから、この分野に関わるのはとても前向きでいいことだと思います。船内荷役業者や大工をしている友達の何人かが心配です。彼らの仕事は体力を必要とするため年齢に限界がありますから。50歳、60歳になると容易ではありません。その点教授は口が疲れるということはありませんから(笑)。


教育 教師 教職

日付: 2004年3月18日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ミシェル・マキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

リチャード・ヒロミチ・コサキ博士(1924年9月14日に生まれ)は、ハワイ州ホノルルで育ち教育を受け、人生の大部分をハワイで過ごしています。第二次大戦中は、陸軍情報部(MIS)に所属し指導教官として務めたほか、アメリカ占領下の日本で通訳として従事しました。1948年ハワイ大学の学部課程を卒業、その後、ミネソタ大学で修士号と博士号を取得しました

博士課程終了後、ハワイ大学で教鞭をとるために再びハワイへ戻った彼は、コミュニティ大学の副学長、西オアフ単科大学学長、学術事務局の副局長、ハワイ大学マノア校学長代理、東海大学ホノルル校学長など勤めました。また、イースト・ウェストセンターの設立やハワイ大学のコミュニティ大学システムの確立にも貢献しました。彼の最も好きな教育哲学は「話してください、私は忘れてしまいます。教えてください、私は覚えます。やらせてください、私は学びます。」です。

コサキ博士はミルドレッド(旧姓:ドイ)と結婚し、1962年に一人息子ランドルを授かりました。(2004年3月19日)

ススム・“スス” ・イトウ

仕事を探していた時に感じた差別 (英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

ススム・“スス” ・イトウ

上司の招きでハーバード大学の教員に(英語)

日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

隣人の庭で日本語学校を始めた母(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

ミツエ・ヤマダ

「ノーーノー・ボーイ」となった兄の理由(英語)

帰米二世、詩人、活動家(1923年生)