ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/340/

日本兵捕虜の中にいた自分の親戚(英語)

(英語)戦争犯罪裁判が行われる予定でした。私はその場所にいたため、調査を命じられ裁判所で手伝いをしていました。そしてある部隊の名簿と日本人捕虜の送還名簿に目を通しておくよう言われました。その間、降伏した捕虜は学校の校舎や校庭などの捕虜収容所に拘留されていました。一部の部隊はまた別の場所に拘留されていました。 私はたまたま第5師団の部隊の名簿を渡されたので、あらかじめもらっていた(戦争)犯罪の容疑がかかっている者の名前が、その名簿の中にいないか見ていきました。するとたまたまその中にヨロ・オオモトという見覚えのある名前があり、ピンときたのです。ファーストネームはヨロと日本名で(書かれていま)したが、私の親戚の名前はハリー・オオモトといい、名前が似ていたのです。ハリーは私のはとこでした。

私はジープに乗り込み中国人通訳を連れて(ヨロがいる)収容所に向かいました。行き先の収容所は運転手が知っていました。ゲートでガード役に「この男に面会したい」と告げると、私がMP(米軍憲兵)の腕章をつけていたため、皆はその男が何か罪を犯した為に、彼を連行する目的で私が追いかけてきたと思ったようです。あの当時は誰もがちょっとした罪を犯したのではないか、という罪悪感があったので、その中の一人が(見つかってしまい)連れて行かれてしまうのか、という思いだったのでしょう。ですから皆すぐにヨロ・オオモトは容疑者だと思ったようです。(ガードに)名前を渡し彼を連れてくるよう頼みました。するとハリーは私が(軍の)制服を着ていたにもかかわらず角を曲がったところですぐに私に気づき「ヒロシ兄さん!」と言いました。私は彼の実兄ではありませんが、彼が日本軍に徴兵される前にロサンゼルスで一緒に住んでいたために、実の兄より近い存在だったのです。


軍隊 (armed forces) 軍隊 第二次世界大戦

日付: 2003年12月17・18日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ、トム・イケダ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

ヒロシ・マツモト氏(通称ロイ)は1913年5月1日にカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のラグナで生まれました。彼の家族は広島県出身で、子供の頃は祖父母とともに日本で暮らし、日本の小学校・中学校に通いました。

アメリカへ帰国後、彼はロングビーチ・ポリテクニック高校へ通うかたわら、さまざまな職を経験しました。第2次世界大戦中はサンタ・アニタ集合センターへ収容され、その後アーカンソー州のジェローム強制収容所へ送られました。ジェロームで6ヶ月間過ごした後、陸軍情報部(MIS)へ志願しました。

松本氏はキャンプサベージで行われた最初のMISのクラスへ参加しました。メリル襲撃隊*(Merrill's Marauders )のメンバーとしての功績は称えられ、後に米国勤功賞(Legion of Merit)を受賞、さらにはRanger Hall of Fame(奇襲部隊)の殿堂入りを果たしました。(2003年12月18日)

*メリル襲撃隊はフランク・D・メリル陸軍大佐率いる第5307混成部隊

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所での最初の印象 (英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

甥との対話から生まれた小説 (英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所の話ではなく人間ドラマ(英語)

作家(1934年生)

リチャード・コサキ

真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

アート・シバヤマ

真珠湾攻撃後、ペルーからアメリカへ連行(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

ペルーから連行中のアメリカの輸送船の状況(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

マリオン・ツタカワ・カネモト

真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜索(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

子供の時にみた父の逮捕(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

第2次大戦中の日本での苦難(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

藤間勘須磨

戦中は隣人にホテルビジネスを預け収容所へ (英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

フレッド・ササキ

第二次大戦中の排日感情(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

児玉良一

戦時中に取り上げられた運転手としての仕事

笠戸丸移民

アイコ・ヨシナガ・ハージック

政治権力の欠如が収容所の一因(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)