ディスカバー・ニッケイ

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インタビュー

山野 愛子 ジェーン

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

外国人慣れしてきた日本人(英語)

(英語) 見た目が日本人なのに日本の習慣がわからず、日本語がわからない・・・やはり言葉が出来ないのが大きいです。ビジネスの習慣、人々の考え方は本当にアメリカと違うと思います。今では日本人も日系人や外国人全般に慣れてきて、彼らを見下すようなことがほとんどなくなりました。ですから私たちも日本の社会の一部となれますし、会話にも参加することができます。昔はよくこんなことを思いました。「外見は他の日本人と同じなのに、なぜよそ者のように感じるのだろう。アメリカにいた時は、(他のアメリカ人と)見た目が違ったのに部外者には感じなかったのに、なぜだろう。」とね。


Finding Home(映画) アイデンティティ 言語 多人種からなる人々

日付: 2003年9月3日

場所: 日本、東京都

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

日本人の父と三世の母を持つ38歳の日系アメリカ人、山野愛子ジェーン氏はロサンゼルスで生まれ、12歳の時に両親と共に日本に移住しました。ロサンゼルスでは毎週土曜日に日本語学校へ通っていましたが、日本に移住したときは日本語がほとんど理解できませんでした。彼女は学校生活の大部分が英語で行われる東京のアメリカンスクールへ通い、上智大学を卒業。その後美容学校に通い、美容ビジネスの世界へ進んだのです。

現在、彼女は流暢に日本語を話すことができますが、読み・書きは苦手だそうです。また、日本社会では女性の地位はまだ低いけれど、美容学校の校長という彼女の立場は一般の女性と比べ社会的に権限のあるポジションだと述べています。ジェーンは彼女の父が戸籍に登録していたので日本の市民権を持っていますが、同時にアメリカの市民権も保持しています。いわゆる二重国籍です。現在(2003年)、ジェーンの在日経験は25年以上に及びます。(2003年9月3日)

ロイ・H・マツモト

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ピーター・ミズキ

剣道の修行のために訪れた日本 (英語)

在日三世・剣道家

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

アート・シバヤマ

アメリカ人二世と帰米との野球ゲーム(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ピーター・ミズキ

米国国籍を持つ日本人の妻 (英語)

在日三世・剣道家

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

ビンス・オオタ

在日3年後に決めた日本永住の理由(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー