ディスカバー・ニッケイ

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親子の触れ合い (英語)

(英語) 親子の触れ合いはと聞かれれば、まずそうですね・・・農場にいる時の両親は忙しいですからほとんど(会話をすることが)なくて、触れ合う時間があるとすれば食事の時か夜ぐらいでした。私達の娘の育て方はと言いますと、妻が娘に毎晩本を読んで聞かせていました。娘が1歳になると(誰かに)ひっきりなしに本を読んでもらっていました。でも私の両親は農場の仕事で忙しくてそんなことはしてくれませんでした。母国語の日本語を使っていましたし・・・あのころ何度かおとぎ話や歌なんかを聴いた記憶はありますけど。親子の対話は、特に学校の勉強に関して、全くありませんでした。


教育 家族 言語

日付: 2004年1月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジェームス・ヒラバヤシ氏は、20世紀初期に米国北西部太平洋岸に移住した勤勉な農民の息子として生まれました。1942年、当時高校3年生だったヒラバヤシ氏は、パインデール集合センターに一時的に拘留されましたが、その後北カリフォルニアのツールレイクの収容所へ移送、抑留されました。

第二次世界大戦後、シアトルのワシントン大学で人類学の文学士号(BA)と文学修士号(MA)取得し、その後ハーバード大学で博士号(Ph.D)を取得しました。現在はサンフランシスコ州立大学の名誉教授であり、合衆国で初めて設立された民族研究学部の学部長を務めました。そのほかにも、東京大学やアルバータ大学(カナダ)、アーマド・ベロ大学(ナイジェリアのザリア)での研究・教歴を持っています。

ヒラバヤシ氏は、2012年5月1日、85歳で亡くなりました。(2014年6月)

キミ・ワカバヤシ

見合い結婚 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

キミ・ワカバヤシ

移住初期のカナダでの生活 (英語)

日系カナダ人一世。1931年にカナダへ夫と移住。(1912年生)

ミツオ・イトウ

日本語学校 (英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

シズコ・カドグチ

日本の男女別教育(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

シズコ・カドグチ

家族の反対をおしきりボブと結婚(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

サム・ナイトウ

ポートランドの日系コミュニティの外で育った経験(英語)

二世ビジネスマン。Made in Oregonの店をオープン。(1921年生)

田中誠一

日本の音楽教育(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

アリス・スミダ

仏教寺院と地方の学校で受けた教育(英語)

アメリカ最大のグラジオラス球根農園の設立者 (1914-2018)

エンセン・井上

日系アメリカ人家庭に育つ(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

エンセン・井上

家紋を探る(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

トシオ・イナハラ

家族構成(英語)

血管外科医(1921年生)

トシオ・イナハラ

12歳で1930年のフォードを運転(英語)

血管外科医(1921年生)

アルフレド・カトウ

戦後リマでの体験談(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

ジョージ・カツミ・ユザワ

1942年10月の妹の死(英語)

戦後ニューヨーク市に移住した二世の花屋。日系アメリカ人の公民権運動で活躍。(1915-2011年)

ビル・ハシズメ

日本の教育を受けさせるようにという父の遺言(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)