https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1773/
クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)
クリスタル シティ キャンプ全体の地図です。私たちは本当にこのエリアにいました。私たちがどこにいるのか知りたくてこれを見始めたのですが、私たちの名前がそこに載っているのを見て驚きました。ああ、すごい、初めて私たちがそこにいると分かった、と思いました。まったく見当もつかなかったのです。そして地図自体も、まったく見当もつきません。だから今、私たちがどこにいるのか、つまり私たちがそこにいたのかが分かりました。
それは、単に「キャンプにいた」という漠然とした話ではなく、具体的に私たちが特定の場所にいたことを私に教えてくれました。そして、兄のジミーに話すと、彼は「ああ、そうだ、私たちはここにいるこの家族を知っていた」と言うことができ、それが物事を結びつけ始めました。私たちがどこにいたのかが本当に分かりました。私たちが子供の頃に知っていた果樹園、サトウキビは、その果樹園から来ているに違いありません。そして、すべてが少しずつつながり始め、明確になり、キャンプがどのようなものだったかが理解できるようになりました。
日付: 2019年9月20日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: トム・イケダ、西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
カズム・フリオ・セサール・ナガヌマ(永沼)は1942年7月28日、ペルーのリマで一世の両親のもとに生まれた。第二次世界大戦前、両親は洗濯業を営んでおり、父はコミュニティの中でもリーダー的存在であった。戦争が始まると、FBIは父親を逮捕し、家族全員がテキサス州クリスタル・シティにある司法省の収容所へ送られた。戦争が終わっても、一家はペルーに戻ることが許されなかったため、一家は収容所へしばらくとどまっていたが、ニュージャージー州のシーブロックバームのスポンサーを受け、収容所を離れ、その後、サンフランシスコの神道教会の教師の援助受け、サンフランシスコに移り住み、一家はそこで仕事と住居を見つけることができた。カズムはデザイン会社を設立し、成功を収めた。(2022年9月)
収容所での最初の印象 (英語)
作家(1934年生)
甥との対話から生まれた小説 (英語)
日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)
カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)
アーカンソー州にあるジェローム転住センターへ汽車による移動(英語)
日本軍に包囲されたときのメリル・マラウダー部隊の状況(英語)
収容所の話ではなく人間ドラマ(英語)
真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)
ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)
真珠湾攻撃後、ペルーからアメリカへ連行(英語)
ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)
ペルーから連行中のアメリカの輸送船の状況(英語)
真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜索(英語)
日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)
子供の時にみた父の逮捕(英語)
戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)
先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)
第2次大戦中の日本での苦難(英語)
戦中は隣人にホテルビジネスを預け収容所へ (英語)
日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)