ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1738/

フサガスガ強制収容所での祖父の話(英語)

(英語)ありがたいことに、政府は祖父たちに良くしてくれたそうです。祖父は何かを貰っていたと聞いています。それが何だったのか正確には覚えていませんが、お酒が飲みたかった祖父は、それを集めて禁止されていたお酒と交換したそうです。祖父はそれらを集めて、他のものとも交換しました。制限付きの外出などもしたそうです。

収容者たちは行いが良ければ、フィールドトリップにも連れ出してもられたというような話も聞きました。祖父は訪れた公園かどこかの美景に感銘を受けたそうです。

また、祖母が祖父に日本語で手紙を書いていたという話も聞きました。それには、事前に打ち合わせしてあった事ですが、家族がかかったという仮病についてよく書かれており、スペイン語のメモが添えてあったようです。看守はそれを見て、例えば、私の母がとてもひどい病気で手の施しようがないい状況というのを知るのです。そして祖父は一時放免され、家族に会いに行く許可を得たのです。祖父は15日間帰宅し、その後強制収容所に戻りました。だから頻繁に病気や一大事よそおい、そのたびに帰宅が許可されたようです。


コロンビア 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2019年9月22日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

モニカ・タイシャーは、1974年にコロンビアのカリ市で一世の父親と二世の母親の間に生まれました。 彼女の家族と親戚は、コロンビア最大のカリ日本人コミュニティーに積極的に関わっていました。 東ヨーロッパ出身のユダヤ系米国市民と結婚した後、渡米しました。 彼女は、夫と娘たちとともにコロンビアで休暇を過ごし、コミュニティーのイベントに参加しています。(2020年5月)

 

アーチ・ミヤタケ

父に教えられた収容所の写真の重要性(英語)

写真家・ビジネスマン。

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

真珠湾攻撃が家族に与えた影響(英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所での最初の印象 (英語)

作家(1934年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

甥との対話から生まれた小説 (英語)

作家(1934年生)

ジョージ・アベ

出生地のもつ意義に気づいて (英語)

太鼓・尺八奏者(1944生)

ロイ・H・マツモト

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ジョージ・アベ

収容所の中で才能を磨く (英語)

太鼓・尺八奏者(1944生)

ロイ・H・マツモト

アーカンソー州にあるジェローム転住センターへ汽車による移動(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

日本軍に包囲されたときのメリル・マラウダー部隊の状況(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

収容所の話ではなく人間ドラマ(英語)

作家(1934年生)

グレース・アイコ・ナカムラ

収容所でラリーが椅子をデザイン(英語)

カーデザイナー、ラリー・シノダの姉

リチャード・コサキ

真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

アート・シバヤマ

真珠湾攻撃後、ペルーからアメリカへ連行(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

ペルーから連行中のアメリカの輸送船の状況(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ロジャー・シモムラ

戦中の体験を尋ねたときの父の否定的反応(英語)

日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)