ディスカバー・ニッケイ

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コロンビアでの第二次世界大戦中に銃を隠さねばならなかった家族(英語)

(英語)外出禁止令のようなあらゆる種類の規制があって、銃のようなものも規制されていました。銃などを所持することは許されていませんでした。 叔父によると、度々所持品の監査が入ったそうです。家族をチェックするため監視員が送られました。 監視員が来るという情報が入ると、銃や貴重品を隠し穴やホリネズミが掘った穴のようなアルマジロの巣穴に隠しました。

隅っこや隙間などちょっとした所を見つけては、貴重品を隠しました。 銃は禁じられていたので、銃も隠しました。 銃を所持することは禁止されていましたが、実際田舎の方に住んでいたため、生きるため、狩りをするためには銃が必要でした。 また自衛のため、ヘビかどうかはわかりませんが、そのようなものもいたので、とにかく身を守るのに銃が必要でした。 だから祖父たちは監視員らが去るまで銃を隠していたそうです。


コロンビア 銃器 武器 第二次世界大戦

日付: 2019年9月22日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

モニカ・タイシャーは、1974年にコロンビアのカリ市で一世の父親と二世の母親の間に生まれました。 彼女の家族と親戚は、コロンビア最大のカリ日本人コミュニティーに積極的に関わっていました。 東ヨーロッパ出身のユダヤ系米国市民と結婚した後、渡米しました。 彼女は、夫と娘たちとともにコロンビアで休暇を過ごし、コミュニティーのイベントに参加しています。(2020年5月)

 

ペギー・ニシムラ・ベイン

ツールレイク収容所での貝殻による手工芸品作り(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

リチャード・コサキ

真珠湾攻撃の後の救急ステーションでの仕事(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

収容所への442連隊の兵士の訪問(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

第2次大戦中の陸軍語学学校での教鞭(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

第2次大戦後の東京(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

第2次大戦後の人々の変化(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

アート・シバヤマ

真珠湾攻撃後、ペルーからアメリカへ連行(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

アート・シバヤマ

ペルーから連行中のアメリカの輸送船の状況(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

マリオン・ツタカワ・カネモト

真珠湾攻撃後のFBIによる家宅捜索(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

子供の時にみた父の逮捕(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

戦時中に参加した日本での兵役訓練(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

マリオン・ツタカワ・カネモト

第2次大戦中の日本での苦難(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

ローズ・クツカケ

第2次大戦中の経験(英語)

第二次大戦中にスロカンに収容。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー (1918-2004)