ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1563/

フィリピン・ダバオでの暮らし(英語)

(英語)父はフィリピンへ行きました。というのも、その当時は、ブラジルかフィリピンのどちらかの国へしか海外に行くことが許されなかったので、父はフィリピンを選んだのです。1937年5月1日にフィリピンに着きました。その一年後、ミンダナオ島ダバオで私が生まれました。

その時その地域には約2万人の日本人がいて、広範囲で活発に文化活動を行っていました。ダバオは船用のロープや芋の袋といった麻を使った製品で繁栄していました。父はしばらくの間、トタン板から水槽や屋根などの製品を作る見習いをしていました。その後日本に戻って自分の店を持ち、商売は徐々に繁盛していきました。


コミュニティ 移住 (migration) フィリピン

日付: 2017年7月12日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 渡辺美津重、西村陽子、レイトン・オカダ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1938年3月25日にフィリピンのミンダナオ島ダバオでカツジロウとウラ・“ミエ”・ アシザワの長女として生まれる。1945年、彼女が7歳のとき第二次世界大戦で日本が敗北したのをきっかけに家族でフィリピンを離れた後、10年間静岡に住んだ。その後家族はアメリカの市民権を取得。1956年3月にロサンゼルスへ移住し、サワコはアルハンブラ高校に進学し、パサデナシティ・カレッジで学んだ。その後、サンホゼ州立大学に進み、自身の勉強を気前よく支えてくれた恩師との出会いを通して、作業療法士となった。現在はさくらガーデン(元敬老リタイアメントホーム)でボランティアをしている。(2018年3月現在)

飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

PJ・ヒラバヤシ

自己表現としての太鼓(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

PJ・ヒラバヤシ

イギリスの太鼓グループ:グローバル太鼓コミュニティの形成(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

バイロン・グレイサー

日系アメリカ人コミュニティに育って(英語)

イラストレーター、デザイナー

モニカ・小木曽

アルゼンチンへ移住してきた家族背景(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ビンス・オオタ

日本へ来たきっかけ(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

ビンス・オオタ

在日3年後に決めた日本永住の理由(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

フランク・ソギ

ハワイ島コナのコミュニティ(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

ロレイン・バンナイ

子供社会の中で手本となる日系アメリカ人の存在の重要性 (英語)

弁護士(1955年生)

ロレイン・バンナイ

二世が抱える二重のアイデンティティ問題 (英語)

弁護士(1955年生)

ロレイン・バンナイ

日系アメリカ人というアイデンティティ意識の高まり (英語)

弁護士(1955年生)

ロベルト・ヒロセ

少数の日本人家族と共に育って(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ロベルト・ヒロセ

ラテンアメリカにおける日系人の多様性(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ジョン・ナカ

徴兵回避のためアメリカへ帰国(英語)

日系アメリカ人二世、盆栽マスター(1914-2004年)

ポーラ・オヨス・ハットリ

祖父のアルゼンチン移住 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世