ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1526/

ユタ州トパーズの砂塵(英語)

(英語)サンフランシスコの気候はおおむねとても穏やかで、夏なども極端に暑くなったりすることはなく、冬らしい冬もなく、雪が降ることもありません。ですから収容所にもサンフランシスコで着るような服装で行きました。

私たちが行った時は冬でした。いえ、違いますね。トパーズに着いた時は夏でした。アルカリ性の砂塵が舞っていました。そして収容所に近づくにつれ、遠くの方に黒いタール紙のバラックの列が見えました。私は祖父の方を見ました。祖父は中折れ帽をかぶり、黒いコートを着ていました。ベスト付きのスリーピース・スーツも全て黒でしたが、収容所に着いた時には真っ白になっていました。アルカリ性の砂塵にまみれていました。

砂塵が巻き上がると、これは大変だ、中に入らなきゃと気付き、割り当てられたバラックに大急ぎで入りました。中も外と同じくらいひどい状態でした。ただのタール紙で断熱性がほとんどなかったからです。窓を開けて空気の入れ替えをしようにも砂が吹き込んできました。初めての強制収容所は悲惨なものでした。


強制収容所 トパーズ強制収容所 アメリカ合衆国 ユタ州 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2015年8月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1934年7月17日、二世の両親のもとサンフランシスコに生まれる。5歳の時に見た『白雪姫』に衝撃を受け、その後生涯を通してアニメーションに夢中になる。第二次世界大戦中、家族と共にユタ州トパーズで強制収容される。その後カリフォルニアに戻り、アニメーターになることを目指してウォルト・ディズニーが好んだロサンゼルスのシュイナード芸術学校(現カリフォルニア芸術大学)に入学。伝説的アニメーター、イワオ・タカモトの指導の下、ウィリーの情熱は開花し、ディズニー、ワーナーブラザース、ハンナ・バーベラ・プロダクションで黄金期を過ごし、アニメーションの世界で長いキャリアを積む。クレジットされている仕事は、『わんわん物語』、『What's Opera Doc?』、『原始家族フリントスト-ン』、『クマゴロー』に及ぶ。

ウィリーは今でも絵を描き続け、日系アメリカ人の第二次世界大戦中の経験を描いた絵本のイラストも手掛けている。サンディエゴで開催されるコミコン・インタナーナショナルでは絵にサインをしたり、ファンと言葉を交わしたりするウィリーを見つけることができる。(2016年9月)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

二宮 正人

戦時中に厳しく規制された外国語教育

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)