ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1456/

「ニッケイ」の定義(英語)

(英語) ニッケイは日本語の言葉です。説明は極めて簡単で、日本人を先祖に持つ、外国に住む人を意味します。僕にとっては、二つの文化を持つという、より広い意味があります。そして僕は二世なので、だいぶ変わった形で日本とつながっています。僕が根を生やしているのは確実にここ、カナダです。日本に行った時、僕は良くも悪くも自分がカナダ人であることを再認識しました。僕の魂はこの国の、この風土に根差しています。先ほども土地のことはお話ししましたが、その人がどのような人間か、どのような人物に成長したか、どこに帰属するかという意味で、人は土地の影響を受けます。日本の国土は非常に細長く、小さいですよね。本当に小さな島国なので僕は疲れてしまうのです。開放的なカナダの風景が僕には必要です。そういう意味で、僕は紛れもなくカナダ人です。

それでも僕は両親を通し、部分的に日本とつながっています。それはいい意味でのつながりだと思います。両親が継承しているのは古い明治時代の日本で、そこには貴重な価値観があります。立派な価値観です。それは両親から僕の中にも叩き込まれています。両親の生活の一部であり、道徳観でした。ガマン、ガンバル、そしてキヅカウ、常に他者の気持ちをおもんばかるという意味ですね。そのような価値観です。謙虚に、勤勉に、という単純だけれど大切な価値観です。そういったことは日本ではもうあまり重視されていないかもしれません。


美学 アイデンティティ 形而上学 心理学 認識論 価値

日付: 2011年2月9日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: パトリシア・ワキダ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

タミオ・ワカヤマ氏は、カナダのブリティッシュコロンビア州ニューウエストミンスターで、日本による真珠湾攻撃の直前、1941年に生まれました。一家は22,000人の日系カナダ人と共にカナダ政府から敵性外国人の烙印を押され、財産を奪われ、強制収容所に送られました。ワカヤマ家は第二次世界大戦が終わるまで、ブリティッシュコロンビア州の外れにあるタシュメ収容所に収容されました。終戦を目前にして、彼らは日本への強制退去かロッキー山脈以東への移住か、二者択一を迫られました。ワカヤマ家はカナダに留まることを選び、チャタムの貧民区に居を構えました。チャタムでのタミオの近所の友達は黒人の子供たちで、彼らは地下鉄道* を通り奴隷制から逃れてきた人々の子孫でした。

1963年、タミオは大学を退学し、アメリカ南部に渡り、ミシシッピ州でのアメリカ公民権運動に参加しました。その後彼は、学生非暴力調整委員会(SNCC)のスタッフとして2年間活動し、自身の体験を撮影するようになります。タミオの写真はスミソニアン博物館などの有名な施設でも展示され、国際的にも知られるようになり、テレビやドキュメンタリー映画、雑誌、書籍、本の表紙やカタログなどでも多数使われています。タミオはこれまでに本を2冊執筆し、現在回顧展と回想記の準備を進めています。

2018年3月、76歳で亡くなりました。(2018年6月)

*注:19世紀アメリカで、奴隷制が認められていた南部諸州から奴隷制の廃止されていた北部諸州またはカナダへの黒人奴隷の亡命を支援した奴隷制廃止論者や北部諸州の市民による組織、およびその逃亡路のこと。

Mónica Kogiso
en
ja
es
pt
モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

en
ja
es
pt
Peter Mizuki
en
ja
es
pt
ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

en
ja
es
pt
Frank Yamasaki
en
ja
es
pt
フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

en
ja
es
pt
Mónica Kogiso
en
ja
es
pt
モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

en
ja
es
pt
Jero  (Jerome Charles White Jr.)
en
ja
es
pt
ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

en
ja
es
pt
Fujima Kansuma
en
ja
es
pt
藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

en
ja
es
pt
Jero  (Jerome Charles White Jr.)
en
ja
es
pt
ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

日本へ行くこと(英語)

演歌歌手(1981年生)

en
ja
es
pt
Aiko Yoshinaga Herzig
en
ja
es
pt
アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

en
ja
es
pt
Jero  (Jerome Charles White Jr.)
en
ja
es
pt
ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

歌詞の意味を伝えたい(英語)

演歌歌手(1981年生)

en
ja
es
pt
Kenny Endo
en
ja
es
pt
ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

en
ja
es
pt
Vince Ota
en
ja
es
pt
ビンス・オオタ

東海岸とロサンゼルスの違い(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

en
ja
es
pt
Seiichi Tanaka
en
ja
es
pt
田中誠一

アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

en
ja
es
pt
Francis Y. Sogi
en
ja
es
pt
フランク・ソギ

MISで出会った本土からの日系人(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

en
ja
es
pt
Jero  (Jerome Charles White Jr.)
en
ja
es
pt
ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

日系三世として(英語)

演歌歌手(1981年生)

en
ja
es
pt
Enson Inoue
en
ja
es
pt
エンセン・井上

日本社会への突然の受け入れ(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

en
ja
es
pt