ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1434/

9.11への反応(英語)

(英語)パビリオン・ギャラリーがオープンした時、私は全米日系人博物館の最初の理事長でした。その直後、ニューヨークで9.11アメリカ同時多発テロ事件が起きました。私たち日系アメリカ人は、アラブ系アメリカ人に影響が及ぶのではないかととっさに考えました。

9.11後の最初の理事会ですが、当時の博物館長アイリーン・ヒラノには、デトロイトまたはディアボーンのアラブ系アメリカ人コミュニティとのコネクションがありました。それでロサンゼルスからミシガン州ディアボーンに会場を移し、理事会を開きました。アラブ系アメリカ人コミュニティのリーダーに聞き取りを行い、彼らが何を憂慮しているか話を聞きました。そして日系コミュニティを襲った戦時ヒステリーの体験を伝え、そのようなヒステリーがアラブ系アメリカ人には起こらぬよう、できる限りの努力をすると伝えました。

しかし、それは起こってしまいました。日系アメリカ人が被ったほどの規模ではありませんが、起こりました。博物館の存在感と日系アメリカ人の声について、私の考えでは当時の閣僚で運輸長官だったノーマン・ミネタが博物館理事の一員だったことも手伝い、私たち日系人の声、博物館の存在、ひいてはアメリカ中のコミュニティの日系人の存在がヒステリーを和らげ、1942年に日系人が被ったレベルの被害は免れたのだと思います。


日付: 2015年2月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、ジャニス・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジョージ・ホサト・タケイ氏は、日系一世の父、タケクマ・ノーマン・タケイと二世の母、フミコ・エミリー・ナカムラのもと、1937年にロサンゼルスで生まれました。日本による真珠湾攻撃直後、彼がまだ5歳だった頃、タケイ家は12万の日系アメリカ人と共に米国政府から一斉に検挙され、強制収容所に収容されました。

タケイ氏は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で演劇を学び、学士号と修士号を取得し、舞台、テレビ、映画俳優として順調なスタートを切りました。1966年には当時画期的だったテレビドラマ、『スタートレック(宇宙大戦争)』でヒカル・スールー(訳注:日本語吹き替え版ではヒカル・カトウ)大尉役に配役されました。

俳優としてのキャリアに加え、タケイ氏は、社会奉仕活動やコミュニティボランティア活動に積極的に参加しています。南カリフォルニア高速輸送地区(Southern California Rapid Transit District)の評議委員を務め、全米日系人博物館の立ち上げの際には創設より深く関わり、運営委員として精力的に活動し、惜しみない貢献を続けています。

タケイ氏は2005年に同性愛者としてカミングアウトし、LGBT1権利の提唱者として影響力を持ち、自身の体験を広く人々に語り、有名人が同性愛者に対し差別的な発言をした時はその責任を追及し、ヒューマン・ライツ・キャンペーン2のスポークスパーソンも務めています。ジョージのフェイスブックの思わず笑いがこみあげてくるユーモアや温かさは彼の人気に再び火をつけ、フェイスブックのフォロワー数を800万人に伸ばしました。

(2015年5月更新)

 

注1. LGBTとは、レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性の不一致)の頭文字をとった総称で、性的少数者を指す言葉。

注2. LGBTの社会的平等化を推進するアメリカの人権団体