ディスカバー・ニッケイ

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日系アメリカ人であることの誇り(英語)

(英語)私の家族が日系であることを恥じることは全くありませんでした。私は、自分が受け継いできた伝統をただ誇りに思ってきました。私は、アメリカ人が自分たち以外の人々に対してすることに同意できませんでした。つまり、ドイツ系やイタリア系といった敵と見なされる人たちは他にもいましたが、彼らは日系人と同じように一斉退去に追いやられることはありませんでした。私の日系人としての誇りは、一度たりとも揺らぐことはありませんでした。幼い頃から私は、たとえ相手が政府であろうと、間違ったことには抗議するよう教え込まれていました。


遺産 アイデンティティ

日付: 2013年7月17日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ショーン・ハマモト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

ローズ・マツイ・オチ氏は、1938年12月15日カリフォルニア州ロサンゼルス東部に生まれました。第二次世界大戦の勃発により、当時まだ幼かったオチ氏は、一家と共にサンタアニタ競馬場跡地に強制収容されました。その後、一家は、当時の日系アメリカ人強制収容所の一つであったローワーに鉄道で移送されました。強制収容所から釈放されたオチ氏の両親は、国外退去を命じられましたが、市民権専門の弁護士がこれを覆し、両親を助けました。オチ氏は、一家の辛い体験を通して不当な扱いを知り、不正を正すことを学びました。

オチ氏は、人権や社会正義のために戦うことを目指し、法律の道に進むことを決意しました。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で学士号を取得した後、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校で理学修士号を取得し、ロヨラ法化大学院で法学士を取得しました。彼女は、貧困層のための弁護士、「レジー」としてU.S.C. Western Center on Law and Povertyでキャリアをスタートさせ、共同登録弁護士としてセラーノ対プリースト裁判に携わりました。この裁判は、教育の機会平等のための法改正に挑んだ画期的裁判でした。以後オチ氏は、カリフォルニア州認定弁護士、司法委員、懲戒審査官を務め、ロサンゼルス郡弁護士会のための初代AA運営委員会メンバーにもなりました。

また、近年ではツナキャニオン日系人抑留所の保存に貢献し、同抑留所は議会からの歴史遺産認定を受けました。オチ氏は2020年12月亡くなりました。 (2020年12月)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

ビンス・オオタ

東海岸とロサンゼルスの違い(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

田中誠一

アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

フランク・ソギ

MISで出会った本土からの日系人(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

エンセン・井上

日本社会への突然の受け入れ(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)