インタビュー
紅白へ出場
僕は82年の紅白からずっと見てまして、毎年必ず日本の親戚からビデオテープを送ってくれて、家族とみんなでいつもビデオテープを見ていたので、本当に紅白と云う番組を非常に大切にしてました。なので、デビューして一番最初の目標が、やっぱり紅白に出ることだったんですね。おばあちゃんにいつも、その年のアーティストの方々は紅白に出れたら、その一年の成功の証と云う意味なので、是非成功して、紅白に出たいなと思って。 新人賞もいただいたり、紅白にもデビュー年に出させていただいて、どうかお母さんもおばあちゃんも連れて行きたいなと思って、僕の衣装におばあちゃんの顔の絵を描いていただいて、でも僕もお母さんも客席で見てて、おばあちゃんと一緒に紅白に出れたという、そういう設定だったので非常に思い出になりました。
日付: 2010年3月10日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センターによるインタビュー。日米文化会館による協力
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