ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1192/

歌詞の意味を伝えたい(英語)

(英語)僕が演歌から感じるのは、人間らしさです。歌や歌詞の内容は、とても人間らしく、人の感情に溢れています。そんな歌詞を聴いたり誰かが歌うのを聴けば、聞き手の中で何かが起こります。幸せな気持ちになったり、悲しくなったり、過去のことを思い出したり、未来を思います。そして、歌を聴いて涙したり、笑顔になったり、本当に様々な気持ちに包まれるのです。たくさんの感情豊かな曲にふさわしい歌い方をするために、僕がアーティスト、そして歌手としてステージに立つ時、歌詞に描かれている世界を正しく表現できるよう細心の注意を払います。そして、できるだけ観衆に伝わるように歌います。僕は、まずは歌詞の世界観を自分の中に取り込み、自分が何を歌おうとしているのか、よく考えます。そして、頭の中に歌詞のイメージを保ちながら、人々の耳に歌が届き、何かを感じてもらえるよう歌います。それは、素晴らしいことです。


演歌 ハパ アイデンティティ 音楽 多人種からなる人々

日付: 2010年3月10日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センターによるインタビュー。日米文化会館による協力

語り手のプロフィール

ジェロ(本名ジェローム・チャールズ・ホワイト・ジュニア)は、1981年9月4日ペンシルバニア州ピッツバーグで生まれました。アフリカ系アメリカ人のジェロの祖父は、第二次大戦中に兵士として来日し、日本人の祖母と出会いました。2人は結婚し、娘のハルミが生まれ、その後一家は祖父の故郷のピッツバーグへ渡りました。ジェロの両親は、彼が子供の頃離婚し、彼は日本文化の影響の強い中で育ちました。ジェロが演歌と出会ったのは、祖母の影響でした。そして彼が演歌を歌い始めたのも、祖母の勧めがあったからでした。2003年、ピッツバーグ大学を卒業したジェロは、日本へ渡りました。英語講師やコンピュータ技師として働きながら、プロの歌手を目指し、祖母が大好きだった紅白歌合戦にいつか出場できるよう努力を重ねました。紅白歌合戦への出場は、ジェロが祖母と交わした約束だったのです。

伝統的な演歌と最近のヒップホップを組み合わせたジェロのスタイルは、下火だった演歌界に新たな生気を与え、さまざまな年齢層のファンを魅了しました。彼が交わした祖母との約束は大勢の人々の胸を打ち、ジェロの紅白歌合戦の出場は、2008年大晦日のハイライトとなりました。同年、彼は日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞し、日系の間でも人気歌手となりました。2010年にアメリカで開催したコンサートのチケットは、すぐに売り切れとなりました。(2010年3月)

PJ・ヒラバヤシ

太鼓を通して感じ一世と三世のつながり(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

アキラ・ワタナベ

「力」を表現する太鼓 (スペイン語)

ペルーの琉球祭太鼓のディレクター(1974年生)

アン・K・ナカムラ

アメリカのイメージ(英語)

ハワイ出身の三世。教師・ビジネスウーマンとして日本在住。

ボブ・キヨシ・オカサキ

子供時代の日本の影響(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

PJ・ヒラバヤシ

多様なメンバーを持つサンノゼ太鼓(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

ボブ・キヨシ・オカサキ

外からみた母国アメリカ(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

ボブ・キヨシ・オカサキ

日本の妻の家族(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

PJ・ヒラバヤシ

日系アメリカ人の太鼓を日本へ(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

竹下幸男

日本人市民としての意識の欠如(英語)

「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)

山野愛子ジェーン

日本語能力の欠如(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

日本文化の伝統を保存(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

アメリカと日本のいいところを受け継ぐ(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

バイロン・グレイサー

アートをサポートすることの重要性(英語)

イラストレーター、デザイナー

ウェイン・ヨコヤマ

余所者(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)