ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1160/

日本に対するイメージ:期待と現実(スペイン語)

(スペイン語)私はこれまで一度も日本に来たことはありませんでした。今回がはじめてです。父や兄弟は、これまで何回か来日していますが、私の場合は勉強(大学)や仕事等を理由にこれまで日本に来る機会がなかったのです。 ただ、日本についてはいろいろな情報は持っていました。いや、持っていると思っていたのですが、大使として就任し、来日直後天皇陛下と謁見した際、陛下の質素さにはほんとうに驚きました。皇室全体がそうであると感じました。皇居も同様で、ほんとうにイメージしていたのとは異なりました。想像はしていましたが、多分これは武士道や禅の影響なのかもしれませんが、私はとても感心しましたし好感を持てました。 私が、日本に対して抱いていた気持ちやイメージは、なんか昔の伝統的な日本だったのです(親から伝えられたもの)。しかし、そうした部分が一般的にはもうあまりみられないと分かりましたので、ちょっと期待を裏切られた感じもしました。 また、滞在中この日本で学んだものは、そして意味も分かったのですが、「本音と建前」のことです。 これは、日本人にとって日常的で当たり前のことですが、我々ラテンの人間は逆にその本音と建前はかけひきの材料として平行して活用するのです。。。(笑)


アイデンティティ 日本

日付: 2009年3月24日

場所: 日本、東京都

インタビュアー: アルベルト・マツモト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1958年1月11日、ボリビア共和国、サンタクルス市で出生。1987年、オルーロ工科大学国立技術学部(Universidad Técnica de Oruro, Facultad Nacional de Ingeniería)を卒業。1989年から1999年まで、熱帯農産物研究所管理監督者(CIAT)で勤務。ほぼ同時期にサンタクルス市所在のボリビア地質学学会(GeoBol)の管理監督者も努める。1989年~2000年まで、食品会社IMBAの管理部長。その後1998年~2000年まで、アシミネ・モータースの部長職を、また2000年~2006年までは、クリスチャン・オートモーターズ(トヨタ代理店)のサンタクルス県技術部長も歴任。2007年3月、エボ・モラレス政権より在日ボリビア全権大使に任命され、4月に日本に赴任。2009年3月に離任。

アシミネ氏は、2014年6月、56歳で亡くなりました。(2014年12月)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

1952年、戦後まもない日本での不自由な生活 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

レイコ・T・サカタ

親の結婚

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。