ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1117/

天野芳太郎との出会い

日本人をお世話する教会があって、そこで(天野に)会ったんですね。その時に、天野が戦後初めて来た日本人なんですよ。戦争でもって、もう全然もうこちら、あれが絶えてましたからね、交流が。で、初めて、そうやってひょっこりへんなあれで入り込んで来たでしょ。…それで私が神父さんの方に行ってたら、電話があって、何かそこが済んだらこちらに来なさいって。とってもおもしろいお話があるからって。…いうので、はいって言って、母と行ったら、天野たちの講演会が開かれてたんです。星学園っていうところを全部借りてね。大勢の人で。

なにしろ、初めての日本から来られた、お客さんっていうことでしょうね。で、日本のあれが全部、ニュースが全部完全なニュースじゃなかったでしょ。勝ち組みとか、負け組みがいて、もう何が本当なのかさっぱり分からないところに、日本からフレッシュなニュースを持ってきた天野っていう人がね、講演するって言うので、大勢いたんです。


ペルー 天野芳太郎 戦後 移住 (migration) 第二次世界大戦

日付: 2007年4月18日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

天野美代子(旧姓:渡辺)はリマ市生まれの日系二世。1954年、実業家・アンデス文明研究家の天野芳太郎氏と結婚。1964年5月には、故夫芳太郎氏とともに、リマ市ミラフローレス区レティロ街に天野博物館を竣工し、8月に開館。現在は、故夫の意思を引き継ぎ、芳太郎氏の私蔵をもって設立され、チャンカイ文化の研究で知られる天野博物館の館長を務める。 (2009年10月)

阪根 博

天野芳太郎の南米進出

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

研究のためにビジネスに力を入れた天野芳太郎

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

戦後ペルーへ戻った理由

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

捕虜交換船で日本へ帰国

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

チャンカイ文化を選んだ天野芳太郎

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

世紀の大発見、シクラス

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

日本人としての強いアイデンティティ

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

フジモリ元大統領の選出をサポートしなかった日系コミュニティ

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

フジモリ元大統領にみる戦前と現代のペルー社会の違い

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

ペルーの一般大衆に選ばれたフジモリ元大統領

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

日系コミュニティがみるフジモリ元大統領

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

天野博物館を通して日本のよさを世界へ伝える

天野博物館事務局長(1948年生)

スミコ・コザワ

祖父とトムソン医師 (英語)

花屋 (1916-2016年)

ジーン・玻満子・シュナイダー

捕虜交換船で戻ってきた父

戦争花嫁(1925年生)

笠原 ハルオ

日本が恋しくて泣いた日々

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)