ディスカバー・ニッケイ

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戦後、南米へ密入国を試みた天野芳太郎

そして、日本で10年。でも、あの人はやっぱり、あの人の心はこの南米にあって、どうしても行きたいって言うので、一生懸命、アメリカにお願いして、あれしたんですけども、スパイ扱いにされてたんですよ…いつも、探偵が、あの後、追ってたみたいです。そうしてるうちに、やっぱり取っ捕まえられちゃって、捕まえられて、送られて、日本に、やられたので・・・なかなか許可が出ないんですね。それで、密入国のような形で、簡単に言えば、前は何て言いますか。お仕事、輸入の仕事やってましたので、お船との関係はずいぶん深くて。みなさん、全部、あの、知ってらっしゃる方々ばっかりでね、船長さんをはじめ、みなさん。

それでまぁ何かの機会で、こちらに出てくることになったんですけれども、日本のお船じゃなくて、その時はスウェ―デンのお船に乗って、途中まで来たんですよね。200マイル沖に、日本の海岸から、200マイル沖にある時、沖に出た時に、大暴風に遭っちゃって・・・それで、何か、あの、船が珍しいあれでもって、あの、何て言いますか、助かって、みなさん。乗組員全員助かって、お荷物近いから、お荷物全部、半分沈んじゃって。それで、こう浮いている時に、アメリカの船が、救いに来てみんな助かったんですね。


不法移住 中南米 移住 (migration) 戦後 第二次世界大戦 天野芳太郎

日付: 2007年4月18日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

天野美代子(旧姓:渡辺)はリマ市生まれの日系二世。1954年、実業家・アンデス文明研究家の天野芳太郎氏と結婚。1964年5月には、故夫芳太郎氏とともに、リマ市ミラフローレス区レティロ街に天野博物館を竣工し、8月に開館。現在は、故夫の意思を引き継ぎ、芳太郎氏の私蔵をもって設立され、チャンカイ文化の研究で知られる天野博物館の館長を務める。 (2009年10月)

フランク・ヤマサキ

戦後の再出発と日本的要素の否定(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

ヘンリー・シミズ

カナダ政府による日本送還への圧力 (英語)

医者。日系カナダ人リドレス基金の元会長。(1928年生)

ヘンリー・須藤

無我夢中で頑張った戦後

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

阪根 博

天野芳太郎の南米進出

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

研究のためにビジネスに力を入れた天野芳太郎

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

戦後ペルーへ戻った理由

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

捕虜交換船で日本へ帰国

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

チャンカイ文化を選んだ天野芳太郎

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

世紀の大発見、シクラス

天野博物館事務局長(1948年生)

ジーン・玻満子・シュナイダー

捕虜交換船で戻ってきた父

戦争花嫁(1925年生)

笠原 ハルオ

日本が恋しくて泣いた日々

ハワイの一世プランテーション労働者。(1900年生)

二宮 正人

日本政府の日系人に対する誤った思い込み

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)