ディスカバー・ニッケイ

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コモングラウンド(英語)

(英語)実は僕は、「なぜここがコモングラウンド(共通点)と呼ばれるのか?」という質問を(全米日系博物館での)ツアーに参加する皆さんに最初に投げかけています。僕は彼らに、ネイティブアメリカン、つまりインディアンと呼ばれる人以外は世界中から来ていて、来たばかりの人々には共通点があったことを伝えています。英語が話せないことや、差別や新しい文化、その他様々な新しいこととの遭遇がありました。そして、僕らのような子供たちが生まれました。僕らは成長し、ここにも共通点が生まれました。僕らがこの展示を、「コモングラウンド」と名付けた理由はここにありますね。日系アメリカ人に関する博物館ですから。でも、ユダヤ系博物館もありますよね。(移民の子として)共にこの土地で育ったという意味で、彼らとも共通点があります。人種やバックグラウンドが違っても、共通点がある。だからこそアメリカは素晴らしい国なのです。


全米日系人博物館(団体) 多文化主義 (multiculturalism) コモン・グラウンド(展示会)

日付: 2005年3月25日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

セドリック・シモ氏は、1919年に生まれ、ロサンゼルスの多人種が混在する地区ボイルハイツで育ちました。シモ氏は、ボーイスカウト活動や剣道に取り組み、日系人スポーツクラブのクーガースでも活発に活動しました。シモ氏は、カリフォルニア大学バークレー校の大学院に在籍していましたが、真珠湾攻撃の次の日、徴兵令状を受け取りました。彼は、アメリカ陸軍情報部語学学校への配属を希望しました。しかしながら、休暇中にマンザナーに強制収容された母親への訪問を禁じられたことに激怒し、外国戦線への参加を拒否しました。その結果、彼は、工兵第1800大隊に配属されました。この部隊には、疑いをかけられたドイツ系、イタリア系、日系人が配属され、戦闘隊が訓練中に壊した道路、橋、フェンスの修復工事にあたりました。シモ氏は、工兵第1800大隊を名誉除隊した後、ボイルハイツへ戻り、ホンダに就職し、輸出担当部門で副代表となりました。

2008年11月20日、日本政府は、日米貿易摩擦が問題となった時期、当時ホンダで働いていたシモ氏が、両国間の貿易推進に寄与したことを評価し、旭日双光章を授与しました。

2020年4月、100歳で亡くなりました。(2020年4月)

マイク・シノダ

ロサンゼルスで見つめる自己アイデンティティ(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

ビンス・オオタ

多文化に触れて(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー